【最卿・将棋コラム】羽生世代が消える日。羽生世代の全員が順位戦B級2組で指す数年後の未来を想像する

2017.08.12 Saturday

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    こんにちわ。将棋を世間に広める会の会長の最卿構司です。

     

    まず表題のコラムを書き始める前に、当会の会員について説明させて頂きます。

     

    当会の会長は、いまコラムを書いている最卿(好きな囲いは雁木)。詳細に関しては謎とさせてください。

    予め断言しておきますが最卿はオンラインの中にしか現れませんし、リアルな活動は会員に一任していますのでご了承下さい。

     

    それからネット記事の構成や文章などのチェックなどを担当する会長代理の佐藤(棋力は猫レベル)は、

    男性で45歳で医療法人向けの経営コンサルティング業をしている普通のサラリーマンになります。

     

    そして見る将の将棋女子でアマチュア三段免状を目指している佐々木、佐々木勇気六段が好きな佐々木女史

    女子大生気分の23歳で将棋クエストR1600の穴熊党。現在は相降り飛車を勉強中だとか。

     

    さらに、新たに三間飛車党で、振り蔵を自称し、将棋youtuberを目指している行政書士資格を持ちながら、

    ファイナンシャルプランナー業で生計を立てている小説家志望の神戸市在住の31歳・男性の大月さん。

    ※(ウォーズ棋神あり二段、関西の将棋連盟道場現在10級)をメンバーに加えて四名の体制で運営しています。

     

    また、大月さんには新たに全38回の将棋風向計なる将棋コラムを当会で執筆して頂くことになりました。

    現在は第2回まで公開していますのでそちらも併せてお読みいただければ幸いです。

     

    【将棋風向計・第1回】将棋をリアルで指していくときの楽しみと悲しみ

    http://shogifukyu.jugem.jp/?eid=192

     

    【将棋風向計・第2回】女流の先生の指導対局会に行ってみた

    http://shogifukyu.jugem.jp/?eid=193

     

    さて。現在の当会の担当は、ネットコラムなどの記事の創案は佐藤が、観る活動とネット宣伝は佐々木が、そしてリアルな体験記は大月さんが、さらに総合的な将棋活動プロデュースを最卿が担当しています。いずれはNPO法人化して何らかのオンラインベースの機動的な将棋文化広報活動をしたいところですが、まだ予算も人員も知名度も足りていません。そこで、しばらくは将棋界隈の観察、そして現状把握に努めたいと思います。本格的な活動は2019年を予定しています。その際には何卒よろしくお願い申し上げます。

     

    長らくお待たせしました。ようやくながら本題に入ります。

    表題の通り、羽生世代の全員がB級2組で指すような瞬間を想像してみましょう。

     

    その前に、、、まずは羽生世代の定義はともかくとして、羽生世代と呼ばれるトップ棋士のメンバーを紹介します。

    羽生世代の他には先崎世代と呼ばれる同年代の世代もあるようですが詳しくは触れません。

     

    羽生世代とは、羽生善治三冠(現A級)、森内俊之九段(フリークラス)、佐藤康光九段(現A級、会長)、郷田九段、丸山九段、藤井九段に故・村山聖九段の七名を指して羽生世代と呼ぶのだと思われます。ここではさらに広義に久保九段、深浦九段、三浦九段、木村九段の四名を追加して総勢11名(※1名は物故)、現在の10名を羽生世代と呼びたいと思います。

     

    こうした10名もの羽生世代の烈士がB級2組で指す時が来るとしたら、

    世間は、そしてファンは、さらには愛棋家たるアマチュアはどう感じ入るのでしょうか。

     

    一つ考えられるのは、それはまさに一言で述べれば新時代であるということです。

     

    近くない未来に必ず将棋新時代が到来します。それは藤井四段の登場、そして佐藤天彦名人の快進撃

    さらには渡辺竜王の存在感などがそのことを確固たるものにしているのだと考えられます。

     

    ここで注意したいのはあくまでこれは将棋村の中の日本将棋連盟が主催するプロ制度においての新時代ですが

    これからはプロアマをも巻き込んだAI研究を用いた新たなる将棋文化の息吹が着々と萌芽していることは、

    ここに記しておく必要があるでしょう。

     

    AI研究の世界では2045年がシンギュラリティ、つまり技術的革新を越えた革命の時であると予測していますが

    将棋界においては想像以上に早いスピードで新たなる時代が到来し、既存の古臭い常識などは打ち破られるはずです。

     

    そこで、最後に目印というより、皆の模範、規範となる新時代のA級もといS級とも呼ぶべきリーグの予測、

    そしてB級1組もといA級1組と呼ぶべきリーグの予測をして終わりたいと思います。

     

    名人 佐藤天彦(20世名人) 

     

    順位戦九段戦(S級) 挑戦1名降級2名

     

    *1 稲葉九段

    ――

    *2 渡辺九段

    *3 菅井九段

    *4 斎藤九段

    *5 藤井九段

    ――

    *6 糸谷九段

    *7 豊島九段

     

    順位戦八段戦(A級1組) 昇級2名降級2名

     

    *1 広瀬八段

    *2 中村八段

    ――

    *3 阿久八段

    *4 山崎八段

    *5 橋本八段

    *6 松尾八段

    *7 澤田八段

    *8 村山八段

    ――

    *9 羽生九段

    10 佐藤九段

     

    文責 会長代理 佐藤

    【最卿・将棋コラム】とあるサラリーマンから話題の中学生プロと対戦するまで

    2017.06.15 Thursday

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      こんにちは。将棋を世間に広めたい会の会長の、最卿です。

       

      本日は、サラリーマン棋士の瀬川先生と、

      藤井プロ四段とのC級順位戦が組まれていると聞きます。

      高速道路を使いタクシーで名古屋に移動してる最中にしりました。

       

      え?もう始まってますか?ああ、そうですか。それはそれは楽しみですね。

      それでは、まず筆者が想像するサラリーマン棋士の姿を述べます前に瀬川先生の紹介を。

       

      瀬川さんについては横浜市出身で、神奈川大学の法学部法律学科卒業の

      リーガルマインドを御持ちで養成機関を出たあと、アマ名人王将を獲得し、

      米長会長(当時)肝いりの特例試験によりプロとなったことくらいしか記憶にないですが、

      脱サラ独立開業の一つの前例と言えるでしょう。女流を除く普通のプロ棋士は個人事業主ですから。

       

      これらの当時の議論はさておき、瀬川さんは立派に正当に棋士の道を目指してきたわけです。

       

      私が考えるサラリーマン棋士とは、仕事の終わりにちょっと飲みに行く代わりに将棋バーなり

      将棋カフェに行き、そこのお胸の大きな指導棋士の女性の(※女流ではない)お姉さんに優しく

      親身に指導してもらってる間に、将棋界、将棋そのものにどハマりして解説会などにも行くようになり、

      さらには将棋の定跡書などを買ってしまったりして、さらにはネットで将棋選手として差し出すようにもなる。

       

      そんな中で生まれた一部のエリートサラリーマンが、よっしゃ開業独立するかとプロの道を叩くときに

      九段の先生のところへいき、内弟子としてもらい、ラーメン店ののれんではないですが、数年の修行の内に

      プロ編入試験の資格を取り、プロへの道を歩み始めるのだと思います。

       

      前回の記事ではないですが、養成機関の挫折者と社会人として考える力のあるエリートたちが

      飲食店の開業のノリで難なく大人からプロへと至るような将棋社会。それは理想的だと思います。

       

      しかしながら、昨今の将棋界は幼少期からのトレーニングが必須です。

      いつかやり直せるときがくる為にも、将棋の文化、将棋の勉強をしてみませんか?

       

      当会では、誰でもアマチュアでも35歳までにやり直せれば、考えを修正できれば

      わずか3年で奨励会三段レベル、あるいは誰でもどんな地点でもアマチュア三段免状を取得可能な

      そんな将棋社会を思い描いています。

       

      文責 会長代理 佐藤

      【最卿・将棋コラム】将棋の棋力が何らかの職業能力開発に資する可能性

      2017.06.14 Wednesday

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        最近、話題の最卿です。見る将棋ファン、いわゆる見る将なるものが存在しますが、

        そういう存在に対して否定的な見解を持つ業界関係者がいるとの報告を受けました。

        そのこと自体は確かに考えられます。見るだけでなくどうか指してくださいと思いますから。

         

        しかし、どうやら中にはこの俺が指導してやるんだという態度を隠さない不届きものがいるようです。

        そういう人は挫折した養成機関の方々なわけですが、将棋のプロになり土日に企業の方々と交流したならば、

        自分の愚かさが分かるのだろうとは思います。

         

        君がね凄んでる相手は企業の重役クラス、スポンサーレベルの人なんだよとそれこそ指導してあげるべきだが、

        誰とは言わないがネット掲示板で暴れまわっている非理事のお歴々は現実社会での実務経験のない挫折者である。

         

        冒頭から暗い話になり常連の読者の方々には申し訳ないが、

        明日はそういうものを乗り越えた筆頭たる某アマチュア出身の大棋士の方の弔いでもあるし、

        何より嫉妬にまみれた欲情の挫折者でメディア業界を目指すにしても能力も気概も礼儀もない

        将棋村の癌のようなものに与える言葉はない。

         

        そこで話を変えます。今後そういうものがいたら私のところへ報告せずに直接ツイッターなどで

        暴発させるなり炎上させるなりしたらよいのではとは思います。もう私は見限りますので。

         

        ところで。

         

        私の隣に座っている女の子が、私がカフェで将棋ウォーズの棋神と悪戦苦闘しているのを見て

        私もあんな風に何かに熱中したいというようなことを母に言っていました。

         

        微笑ましい光景でした。母親と少し話題の藤井くん関連からの将棋について話したのですが、

        小学生などには将棋は大人気なようで、何から始めようか、うちの子も学ばせてみようかと

        いきようようと目を輝かせていました。私は振り蔵なので振り飛車のみをおススメして店を後にするわけです。

         

        さて。

         

        確か渡邊先生だったかと思いますが、ソースは忘れましたが、

        将棋が現実の何かに役に立ったことは一度もないと言い放ったことがあります。

         

        また糸谷先生は、将棋界は斜陽産業だと四段のパーティの席で言い放ちました。

         

        これらの意識に共通することとして、将棋をただ指していても将棋産業は盛り上がらないのでしょう。

        そうであるならば、まずはレベル別のアマチュア向けのプログラムを公式に用意すべきだが、

        既存のアイディアで十分なので、自分が気に入る戦法の指し手、継承者を増やすことに心力しよう。

         

        そう強く思い返した14日の昼頃でした。決戦は17日。棋聖戦とアマプロ対抗戦、

        両方の記事をわたくし、最卿が書きますので、ご期待くださいませ。

         

        文責 会長代理 佐藤

        【将棋AI】将棋と人工生命倫理に関する覚書き

        2017.04.17 Monday

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          ・将棋人工生命倫理に関する覚書き

           

          ・要件定義の試み

           将棋AIとは、操作可能な技術において、人々の暮らしに有用でかつ無形の正当化の論理である。倫理的な抵抗は技術の進捗に応じて発展するが、本来的には存在しえない。発展の抵抗としてあるのは過程の連続性以外には考えない。

           

          ・主題部分

           人工的な将棋行為または定跡造成が今日の現代将棋AIに許容されるか。

           

          ・概要

           かかる主題が対応する社会一般性と、現代的な根拠を優先的に述べ、それらが持つ課題と今日的な反省あるいは抵抗しうる論拠とを解明する。ここで注目したいのは今日的な反省が未来へと不可逆的に進行しうることである。それが進化的な見方にもつながる。

           

          ・説明ゞ話からつむぐ歴史性

           私は、むんずと彼女の蒼白した顔を見るやいなや、むぞうさに手のひらにしたためていた一定性を開いた。記号化された文献については、予てから有用性を疑問視していたが、一回たりとも聞き入れることはなかった。彼女は、私が理解しえないと見て、半ば笑いながら去っていった。私は彼女が去った後に一足の束を見つけた。その黒い部分部分には白いものが一本か二本か混ざり始めていた。これが私と彼女との再会になるとは誰もが知る由もなかったのだが、私は未だまどろみの中から目覚めることはなかった。

           

          ・根拠.劵箸領琉茲伴然の摂理

          ベルクソンの定義では、「人々の意識の中で、平衡状態において留まるものは絶えず生成変化を遂げていく運動との間の区別に他ならない」とある。これは、科学一般における普遍性と、進化論的発達過程論との比較に繋がる。ここで普遍性とは、ヒトの質の高い生活を保障する原動力だとする。それが技術的に操作可能であれば、ヒトの領域だとするのが先の定義における平衡的な状態だ。他方で、進化論的発達過程論の立場では自然の摂理を優先する。ここではヒトは自然の部分であるとし、その研究は自然の摂理に適合するとみなす。

           

          ・簡易的な反論/世領琉

          宗教的な権威から考えればすべての事は神の御心の中にあるとする。それが一般化しうるのは政党政治の中においてでしかないことは、ドイツにキリスト教社会民主主義の歴史があることを思えば理解可能だ。

           

          参考文献 ゴルギアスからキケロへ 坂口ふみ

          参考文献 連続する時間への挑戦  ベルクソン

          プロタイトル戦の現地大盤解説会へ(第64期王座戦第2局)

          2016.09.21 Wednesday

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            今回は、プロタイトル戦(第64期王座戦第2局)の現地大盤解説会に行ってきました。

            ここでは、現地の大盤解説会ってどんな感じだろう?という人にも分かりやすいように簡単に流れを振り返りたいと思います。

             

            さて、今回の対局はウェスティン都ホテル京都で行われました。開場は12時30分〜だったのですが、早めに行くことにして11時45分にはホテルの会場前のロビーに到着するともう既に20人ほどがロビーのソファーなどに座って待機していました。12時15分頃には受付前に待機列が形成され、50人程が並ぶ状態に。最前列付近の良い席を確保したい人は開場1時間前くらいから現地入りすると良いかもしれません。なお、昼食に関して、ホテルにもレストランはありますが高いので事前にどこかで昼食を済ませるかコンビニなどで買ったほうが良いように感じました。

             

            12時30分になり、ようやく開場となると次々とお客さんが入ります。入場料は1000円とお手頃な価格でした。受付はプロ棋士の方がお手伝いするなど早くもここでプロ棋士を間近に見ることができます。ホテルのスタッフや主催の人などが事務作業をやれば良いのでは、と思う向きもありますが、こうした手作りのイベント感も良いのかもしれません。大盤解説会場には座席が200席ほど用意され中央のステージに大盤があります。右のスクリーンに対局場の様子、左のスクリーンに実際の盤面が映し出されていました。また、座席後方にはウォーターサーバーが用意されていて自由に水を飲むことができます。

             

            そして13時になり大盤解説会がスタートします。出演棋士は、斎藤六段、船江五段、都成四段、和田女流初段、北村女流初段の5名で、ゲスト棋士として副立会の稲葉八段を始めとして、控室から山崎八段、大石六段、竹内四段、今泉四段、大橋四段などなど多くの棋士が登壇しました。以下は今回の大盤解説会のおおまかなスケジュールです。すべてが終わったのは今回は22時過ぎでした。

             

            13:00 解説会スタート

            14:00 希望者が抽選による指導対局(プロ棋士3名×3面指しで計9名)

            15:00 イベント(タイトル戦の進行の続きからの目隠し10秒将棋)

            16:00 希望者が抽選による指導対局(プロ棋士3名×3面指しで計9名)

            18:00 夕食休憩。次の一手クイズ

            終局後 タイトル戦の対局者が会場に来て実際に目の前で解説

            ラスト 景品抽選会

             

            大盤での解説は初手から丁寧に行われ、指し手の解説だけでなく戦形の背景や雑談なども交えながら初心者でも楽しめる構成になっています。14時〜、16時〜の2回に渡って希望者が抽選での指導対局が行われます。これは別途2000円かかるようでした。1時間ほどプロ棋士と対局をして感想戦でアドバイスを貰えるので貴重な体験になるのではないでしょうか。

             

            15時からはイベントがありました。今回は実際のタイトル戦の進行から解説のプロ棋士が目隠し10秒将棋を行いました。局面は先手が▲7七角と転換して67手目▲3三歩成としたあたりで、2回ほど対戦が行われましたがどちらも後手を持ったプロ棋士が相当な惨敗をしていたのでここでは後手の羽生王座が苦しかったのでしょう。10秒の目隠し将棋でしたが二歩などの反則もなく無事に対局が終わり、改めてプロ棋士の能力の高さを感じずにはいられませんでした。

             

            イベントが終わるとまた対局の解説に戻ります。現地の大盤解説会では通常の出演棋士に加えて、控室などからゲスト棋士が参加することも多いです。今回は山崎八段と今泉四段の話が面白かったので簡単に紹介したいと思います。

             

            ゲスト棋士は呼ばれてから登場するのが普通なようですが、今回の山崎八段は控室で良い手を発見したようで居ても立っても居られずに大盤解説会場に来たとのことでした。そのことでまず会場は大笑いになります。

             

            それまでの大盤解説では難しいながらも後手の羽生王座が指せるのではないかというムードでしたが、

             

            これは先手の糸谷さんが良いと思います

             

            高らかに山崎八段が宣言をして83手目の▲4三歩成を紹介すると他の棋士たちの評価も一変しました。

             

            桐谷先生にも褒められたんですよ

             

            と嬉しそうに語っていると、なんと糸谷挑戦者が実際に山崎八段が推奨していた手を指して会場は大盛り上がりです。

             

            遠くの7階まで伝わったのかな

             

            などと冗談も出て山崎八段は「この手を当てただけで来た意味があった」とご満悦でした。

            しかしながら少しすると「▲5八歩の切り返しがあって激戦」との評価に変えておられました。

            タイトル戦の羽生王座に勝つにはまだまだ容易ではないことが伺えた一面でもありました。

             

            今泉四段はアマチュアからプロ編入試験を受けてプロになった棋士で、軽快なトークに定評があるようです。

            大盤解説会に登場すると自身がアマチュアだった頃に糸谷八段と対局したときのエピソードを語ってくれました。

            何でも今泉四段が優勢ながら残り30分くらいで糸谷八段は残り2時間以上の持ち時間。

            お決まりの早指しで糸谷八段が粘っている状況。

             

            そこで記録係から「糸谷先生、残り2時間です」と言われたところで、

            糸谷八段は「イエッサー」と返事をしたそうなのです。

             

            それに対して今泉四段は思わず声を出して突っ込んでしまったらしく、

            そこから調子を崩して逆転負けしてしまったようです。

             

            対局後に糸谷八段に「イエッサー」発言についてどういうことなのかと聞くと

            英語の試験勉強をしていたから」と意味の分からない言い訳をされたそうです。

             

            このように現地での大盤解説会だからこそ聞けるトークも多く会場も大いに盛り上がっていました。

             

            18時の夕食休憩になると、次の一手クイズが出題されます。107手目▲4二角の局面で夕食休憩に入り、プロ棋士が候補手を4つほど示してその他と合わせて5つの選択肢の中からお客さんが紙に名前と予想手を書いて箱に入れます。正解は△6二銀。150名ほどが参加したなかで60名ほどが当てました。景品の数は15個程度だったので倍率は4倍くらいになります。景品はプロ棋士が書いた色紙やサイン本などでした。夕食休憩の50分は解説も休憩になりますがホテルのレストランは高いので何か軽食を準備していくと良いでしょう。ウェスティン都ホテルには地下にコンビニもありましたが、食料は全て品切れでした。

             

            ようやく対局が終わると、タイトル戦の対局者が解説会場に登壇します。実際にタイトル戦を戦った二人を生で見られる機会ですのでとても貴重でしょう。羽生王座と糸谷挑戦者が10分ほど手の感想などを述べ最後は満場の拍手の中で退場。その後は景品抽選会が行われ、ここでも色紙やサイン本などが当選者に贈られました。

             

            今まで簡単に大盤解説会の流れを振り返ってみましたがどうでしたでしょうか。様々な棋士の解説やトークが聞け、イベントや抽選会などもあり、初心者の方でも楽しめる内容だったかと思います。将棋をあまり知らない人も現地の大盤解説会に一度参加してみてプロ棋士の生の対局の臨場感を味わってみてはいかかでしょうか。

             

             

            今回の第64期王座戦第2局の大盤解説情報はこちら

            現地大盤解説会情報

             

            大盤解説会の様子はこちらなどを参照

            大盤解説会開始(王座戦中継ブログより)

            将棋コラム 投了時の「負けました」を再考する

            2016.09.13 Tuesday

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            本能寺の変で、明智光秀に裏切られた織田信長は自害する際に「是非もなし」との言葉を残したとされています。これは善悪を判断することもなく致し方ない、やむをえないことだ、という意味でのことでしょう。

             

            将棋というものは挨拶に始まり挨拶に終わります。対局が始まるときには「お願いします」と挨拶をしますし、対局が終わるときには投了する者が「負けました」と敗北の意思を示します。このように将棋を対局するにあたって挨拶をすることは将棋の基本的なマナーであり、作法であるわけです。

             

            将棋は礼儀正しく指すことが重要であるとされ、敗者が投了の意思を示す「負けました」は将棋の礼儀作法として事あるごとに推奨されます。すなわち、この「負けました」は投了における美学でもあり、投了の際にはきちんとこの「負けました」を言えることが立派な将棋指しであることの証左なのです。将棋においては自分の敗北を認め、自分でそのことを発することが立派な精神性であると考えられているのだということが分かります。

             

            ところで、このことについて少し考えてみますと何故に敗北の際に自分で敗北したことを認める必要があるのでしょうか。確かに負けたときは悔しいものですから「負けました」などとは言いたくはないという人もいるのでしょう。投了の美学として、この「負けました」を言うことが強要されていることに疑問を持つこともありえるでしょう。はたして「負けました」が言えることが本当に立派なことなのでしょうか。

             

            例えば、スポーツの世界を見てみるとしましょう。サッカーや野球、バスケにテニス等々どのスポーツにおいてもプレーヤー自身が「負けました」と敗北を認めることでゲームが終わることはまずありません。プレイヤーが何を思おうが、何を言おうが、得点と既定の時間等々により無慈悲に勝負が決まります。スポーツの世界においては投了の美学は存在しません。将棋とスポーツはその構造も違いますが、何故に将棋においては自ら「負けました」と敗北を認めねばならないのでしょうか。

             

            このことを外部性、もっと分かりやすく言えばゲームを取り巻く環境から考えてみると、スポーツの場合は審判が居て審判が規定に基づき勝敗をジャッジします。将棋の場合は立会人がつくことはありますが、対局者の意思において勝敗が委ねられています。つまり将棋というゲームはセルフジャッジのゲームなのです。このセルフジャッジという外部要素が将棋における投了の美学たる「負けました」を言うことを生み出した一つの要因と言えるのではないでしょうか。

             

            さて、このようなセルフジャッジの必要性から投了の合図が必要だとして、投了する際に「負けました」といちいち発する必要はあるのでしょうか。それでは逆にセルフジャッジとして、勝ちが確定したような場合に、片方が「勝ちました」と言い、相手もそれを同意することで勝負が決まるとしてはどうでしょうか。ここでまず問題になるのは、判断が不透明であることです。いくら片方が「勝ちました」をと勝利宣言を連発しても相手が延々と認めなければ勝負は終わりません。すなわち、どちらかがもうこれで終わりだと諦めることで勝負が終わるとしたほうが明快なのです。ゆえに投了の際には「負けました」で終わることが必要になるのでしょう。また、勝者が勝ちを誇ることは美徳であるのかという問題もあります。勝った者は謙虚であるべきだという考えも根強いでしょう。

             

            そうは言っても何故に敗北の際にわざわざ「負けました」を発するのかはまだ見えてきません。「負けました」と自信の敗北を認めることは礼儀だとか美徳であるとか何か価値があると考えらるのでしょうか。潔く負けを認めることは確かに見てるものからすれば心地は良いですしその精神性は何か立派なことであるかのような気もします。しかし冷静に考えてみると敗者が敗戦の弁をそのまま直接吐露することは屈辱に他なりません。状況的に負けであることは明らかであるとか、もう自身に指し続ける気力が出ない局面だとして「負けました」を強要することが美であるのでしょうか。明らかに非勢であるのに敗北を頑なに認めない根性的な精神性は美しいとは言えませんが、一方では「負けました」の強要は敗者に鞭を打つ非道な行為へと陥っているとも考えられます。

             

            少し見方を変えてみると、日本古来の武士の世界には切腹、腹切りというものがあります。これは不始末の責任を自身で判断して自身で処置を示すことでその社会的体裁を保つという意味合いの習俗です。この切腹というものは形式的行為です。自らの責任をその行為に変えて示すもので敗戦の弁を述べる類のものではありません。ここに見られる潔さ、その潔さがある種の美徳にまで思えるのは一切の言い訳もせず何も語らずに自分の不始末を処置することにあります。なお、腹切りをした者はそれでは死にきれないので第三者の介錯が必要になります。このことはより一層それが形式的なものであることを示唆しているでしょう。

             

            こうした武士の精神から考えてみると、一見すると潔く自身で不始末を処置したかのような「負けました」の精神は、日本人特有の美徳であるかのようにも見えます。しかし自ら敗北を吐露する「負けました」の精神は、実はそうした潔さとは異なる直接的な言い訳であるかのようにも思えます。それは自らの心情を吐露することで赦しを請うかような自己都合の精神性であり、ただ単に敗者として全てを放棄するような精神性でもあります。そこに敗者としての美学などは存在しません。いくら心情を吐露したからと言ってそれが尊ばれることはないのです。敗者は何も語るべきではないし沈黙こそが敗者のあるべき姿に見えます。敗北においては沈黙を守り、その意思を示す形式的な行為の存在と、第三者的な判断こそが、敗北における、投了における美学だとは考えられないでしょうか。状況的にみても形式的な敗北のサインを決めて、暗黙の了解により勝敗が決まるとしたほうが美しいですしそれで礼節を欠くこともありません。将棋では駒台に手を触れることで投了の意思とすることがありますが、このように「負けました」を言わずに勝負を終わらせる方法もあるのです。

             

            ここまで「負けました」を発する意味について考えてみましたが、必ずしも「負けました」と愚直になることが美しいことではないことが分かりました。引き分けは指し直すとすれば、将棋を指せば必ず勝つか負けるかしかありえません。つまり負けるということは殆ど不可避であるのです。

             

            ここで冒頭の発言に戻るとそのことはまさしく「是非もなし」なのではないでしょうか。

            将棋コラム 将棋を指していて快感を覚える瞬間は?

            2016.09.12 Monday

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              人間という生き物は快楽の虜です。人間の歴史をみればそれは快楽の追求の歴史であると言っても過言ではないでしょう。生存の欲求を十分に満たした人間は次第に快楽へと溺れます。要するに快楽こそが人間を成長させ快楽こそが人間を堕落させてきたわけです。現代に目を向けてみると世の中は娯楽で溢れかえっていますが、娯楽というのは殆ど快楽性の為に存在しているのではないでしょうか。つまるところ娯楽こそが人間の生きる道だと言えるわけです。

               

              さて、将棋もそんな娯楽の一つですが将棋を指していて気持ちいいと感じる瞬間、つまり快感を覚える瞬間はどのようなものでしょうか?

              ここではランキング形式にして少し考えてみたいと思います。

               

              それでは第5位の発表です。

               

              「駒の両取りが決まったとき」(東京都・28歳男性・教師他多数)

               

              ふんどしの桂馬や割り打ちの銀、香車の田楽刺しなど駒の両取りが決まった瞬間は気分が良いものです。どちらか必ず一方は駒が取れることになりますから非常に得した気分になります。王手飛車取りがかかろうものなら気分は温泉気分で勝利は目前か。

               

              続いて第4位です。

               

              「駒を得したとき」(愛知県・19歳女性・会社員他多数)

               

              やはり駒得は裏切りません。駒を得すればするほど戦力差が拡大し優位に局面を進められます。しかし将棋の終盤は駒得よりも速度が重要です。駒得ばかりに目がくらんで王様を取られてしまうと元も子もありません。

               

              それでは第3位です。

               

              「駒を成ったとき」(茨城県・45歳男性・農家他多数)

               

              相手の陣地に踏み込んで駒を成ったときの達成感は格別です。歩がなれば金と同じ価値になる。まさしく成金ストーリーの成り上がりです。初心者同士の対局ですと飛車が成って龍を作れただけで将棋を指した甲斐があるというものです。

               

              さて第2位はどうでしょうか。

               

              「詰みを発見したとき」(秋田県・32歳男性・団体職員他多数)

               

              将棋の醍醐味は何といっても最終盤の華麗な収束にあります。相手玉の詰みを発見し読み切った瞬間は気分も最高潮に達するでしょう。駒が一つも余らない完璧な詰みを発見したときなどは感動も格別です。詰みを見つける瞬間の為に将棋を指している人も多いでしょう。

               

              さあそれではついに第1位の発表です。

               

              「勝ったとき」(広島県・12歳男性・小学生他多数)

               

              やはり何と言っても将棋を指していて一番気持ちが良いのは勝った瞬間でしょう。勝てば嬉しいですし負ければ悔しいそれが自然のありさまです。しかし相手があることなどで過度にはしゃいだりはせずに静かに勝利の余韻に浸りましょう。

               

              さて、これまで見てきたように将棋を指すことは気持ちが良いものです。将棋にはさまざまな快楽の瞬間があります。今回紹介した他にももっと奥深い将棋の楽しさはたくさんあるでしょう。それを探究してみるのも一つの生きる道かもしれません。

               

              ※文中の登場人物は実在の人物・団体とは関係がありません。