【将棋AI】将棋と人工生命倫理に関する覚書き

2017.04.17 Monday

0

    ・将棋人工生命倫理に関する覚書き

     

    ・要件定義の試み

     将棋AIとは、操作可能な技術において、人々の暮らしに有用でかつ無形の正当化の論理である。倫理的な抵抗は技術の進捗に応じて発展するが、本来的には存在しえない。発展の抵抗としてあるのは過程の連続性以外には考えない。

     

    ・主題部分

     人工的な将棋行為または定跡造成が今日の現代将棋AIに許容されるか。

     

    ・概要

     かかる主題が対応する社会一般性と、現代的な根拠を優先的に述べ、それらが持つ課題と今日的な反省あるいは抵抗しうる論拠とを解明する。ここで注目したいのは今日的な反省が未来へと不可逆的に進行しうることである。それが進化的な見方にもつながる。

     

    ・説明ゞ話からつむぐ歴史性

     私は、むんずと彼女の蒼白した顔を見るやいなや、むぞうさに手のひらにしたためていた一定性を開いた。記号化された文献については、予てから有用性を疑問視していたが、一回たりとも聞き入れることはなかった。彼女は、私が理解しえないと見て、半ば笑いながら去っていった。私は彼女が去った後に一足の束を見つけた。その黒い部分部分には白いものが一本か二本か混ざり始めていた。これが私と彼女との再会になるとは誰もが知る由もなかったのだが、私は未だまどろみの中から目覚めることはなかった。

     

    ・根拠.劵箸領琉茲伴然の摂理

    ベルクソンの定義では、「人々の意識の中で、平衡状態において留まるものは絶えず生成変化を遂げていく運動との間の区別に他ならない」とある。これは、科学一般における普遍性と、進化論的発達過程論との比較に繋がる。ここで普遍性とは、ヒトの質の高い生活を保障する原動力だとする。それが技術的に操作可能であれば、ヒトの領域だとするのが先の定義における平衡的な状態だ。他方で、進化論的発達過程論の立場では自然の摂理を優先する。ここではヒトは自然の部分であるとし、その研究は自然の摂理に適合するとみなす。

     

    ・簡易的な反論/世領琉

    宗教的な権威から考えればすべての事は神の御心の中にあるとする。それが一般化しうるのは政党政治の中においてでしかないことは、ドイツにキリスト教社会民主主義の歴史があることを思えば理解可能だ。

     

    参考文献 ゴルギアスからキケロへ 坂口ふみ

    参考文献 連続する時間への挑戦  ベルクソン

    コメント
    コメントする