プロタイトル戦の現地大盤解説会へ(第64期王座戦第2局)

2016.09.21 Wednesday

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    今回は、プロタイトル戦(第64期王座戦第2局)の現地大盤解説会に行ってきました。

    ここでは、現地の大盤解説会ってどんな感じだろう?という人にも分かりやすいように簡単に流れを振り返りたいと思います。

     

    さて、今回の対局はウェスティン都ホテル京都で行われました。開場は12時30分〜だったのですが、早めに行くことにして11時45分にはホテルの会場前のロビーに到着するともう既に20人ほどがロビーのソファーなどに座って待機していました。12時15分頃には受付前に待機列が形成され、50人程が並ぶ状態に。最前列付近の良い席を確保したい人は開場1時間前くらいから現地入りすると良いかもしれません。なお、昼食に関して、ホテルにもレストランはありますが高いので事前にどこかで昼食を済ませるかコンビニなどで買ったほうが良いように感じました。

     

    12時30分になり、ようやく開場となると次々とお客さんが入ります。入場料は1000円とお手頃な価格でした。受付はプロ棋士の方がお手伝いするなど早くもここでプロ棋士を間近に見ることができます。ホテルのスタッフや主催の人などが事務作業をやれば良いのでは、と思う向きもありますが、こうした手作りのイベント感も良いのかもしれません。大盤解説会場には座席が200席ほど用意され中央のステージに大盤があります。右のスクリーンに対局場の様子、左のスクリーンに実際の盤面が映し出されていました。また、座席後方にはウォーターサーバーが用意されていて自由に水を飲むことができます。

     

    そして13時になり大盤解説会がスタートします。出演棋士は、斎藤六段、船江五段、都成四段、和田女流初段、北村女流初段の5名で、ゲスト棋士として副立会の稲葉八段を始めとして、控室から山崎八段、大石六段、竹内四段、今泉四段、大橋四段などなど多くの棋士が登壇しました。以下は今回の大盤解説会のおおまかなスケジュールです。すべてが終わったのは今回は22時過ぎでした。

     

    13:00 解説会スタート

    14:00 希望者が抽選による指導対局(プロ棋士3名×3面指しで計9名)

    15:00 イベント(タイトル戦の進行の続きからの目隠し10秒将棋)

    16:00 希望者が抽選による指導対局(プロ棋士3名×3面指しで計9名)

    18:00 夕食休憩。次の一手クイズ

    終局後 タイトル戦の対局者が会場に来て実際に目の前で解説

    ラスト 景品抽選会

     

    大盤での解説は初手から丁寧に行われ、指し手の解説だけでなく戦形の背景や雑談なども交えながら初心者でも楽しめる構成になっています。14時〜、16時〜の2回に渡って希望者が抽選での指導対局が行われます。これは別途2000円かかるようでした。1時間ほどプロ棋士と対局をして感想戦でアドバイスを貰えるので貴重な体験になるのではないでしょうか。

     

    15時からはイベントがありました。今回は実際のタイトル戦の進行から解説のプロ棋士が目隠し10秒将棋を行いました。局面は先手が▲7七角と転換して67手目▲3三歩成としたあたりで、2回ほど対戦が行われましたがどちらも後手を持ったプロ棋士が相当な惨敗をしていたのでここでは後手の羽生王座が苦しかったのでしょう。10秒の目隠し将棋でしたが二歩などの反則もなく無事に対局が終わり、改めてプロ棋士の能力の高さを感じずにはいられませんでした。

     

    イベントが終わるとまた対局の解説に戻ります。現地の大盤解説会では通常の出演棋士に加えて、控室などからゲスト棋士が参加することも多いです。今回は山崎八段と今泉四段の話が面白かったので簡単に紹介したいと思います。

     

    ゲスト棋士は呼ばれてから登場するのが普通なようですが、今回の山崎八段は控室で良い手を発見したようで居ても立っても居られずに大盤解説会場に来たとのことでした。そのことでまず会場は大笑いになります。

     

    それまでの大盤解説では難しいながらも後手の羽生王座が指せるのではないかというムードでしたが、

     

    これは先手の糸谷さんが良いと思います

     

    高らかに山崎八段が宣言をして83手目の▲4三歩成を紹介すると他の棋士たちの評価も一変しました。

     

    桐谷先生にも褒められたんですよ

     

    と嬉しそうに語っていると、なんと糸谷挑戦者が実際に山崎八段が推奨していた手を指して会場は大盛り上がりです。

     

    遠くの7階まで伝わったのかな

     

    などと冗談も出て山崎八段は「この手を当てただけで来た意味があった」とご満悦でした。

    しかしながら少しすると「▲5八歩の切り返しがあって激戦」との評価に変えておられました。

    タイトル戦の羽生王座に勝つにはまだまだ容易ではないことが伺えた一面でもありました。

     

    今泉四段はアマチュアからプロ編入試験を受けてプロになった棋士で、軽快なトークに定評があるようです。

    大盤解説会に登場すると自身がアマチュアだった頃に糸谷八段と対局したときのエピソードを語ってくれました。

    何でも今泉四段が優勢ながら残り30分くらいで糸谷八段は残り2時間以上の持ち時間。

    お決まりの早指しで糸谷八段が粘っている状況。

     

    そこで記録係から「糸谷先生、残り2時間です」と言われたところで、

    糸谷八段は「イエッサー」と返事をしたそうなのです。

     

    それに対して今泉四段は思わず声を出して突っ込んでしまったらしく、

    そこから調子を崩して逆転負けしてしまったようです。

     

    対局後に糸谷八段に「イエッサー」発言についてどういうことなのかと聞くと

    英語の試験勉強をしていたから」と意味の分からない言い訳をされたそうです。

     

    このように現地での大盤解説会だからこそ聞けるトークも多く会場も大いに盛り上がっていました。

     

    18時の夕食休憩になると、次の一手クイズが出題されます。107手目▲4二角の局面で夕食休憩に入り、プロ棋士が候補手を4つほど示してその他と合わせて5つの選択肢の中からお客さんが紙に名前と予想手を書いて箱に入れます。正解は△6二銀。150名ほどが参加したなかで60名ほどが当てました。景品の数は15個程度だったので倍率は4倍くらいになります。景品はプロ棋士が書いた色紙やサイン本などでした。夕食休憩の50分は解説も休憩になりますがホテルのレストランは高いので何か軽食を準備していくと良いでしょう。ウェスティン都ホテルには地下にコンビニもありましたが、食料は全て品切れでした。

     

    ようやく対局が終わると、タイトル戦の対局者が解説会場に登壇します。実際にタイトル戦を戦った二人を生で見られる機会ですのでとても貴重でしょう。羽生王座と糸谷挑戦者が10分ほど手の感想などを述べ最後は満場の拍手の中で退場。その後は景品抽選会が行われ、ここでも色紙やサイン本などが当選者に贈られました。

     

    今まで簡単に大盤解説会の流れを振り返ってみましたがどうでしたでしょうか。様々な棋士の解説やトークが聞け、イベントや抽選会などもあり、初心者の方でも楽しめる内容だったかと思います。将棋をあまり知らない人も現地の大盤解説会に一度参加してみてプロ棋士の生の対局の臨場感を味わってみてはいかかでしょうか。

     

     

    今回の第64期王座戦第2局の大盤解説情報はこちら

    現地大盤解説会情報

     

    大盤解説会の様子はこちらなどを参照

    大盤解説会開始(王座戦中継ブログより)

    将棋コラム 投了時の「負けました」を再考する

    2016.09.13 Tuesday

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    本能寺の変で、明智光秀に裏切られた織田信長は自害する際に「是非もなし」との言葉を残したとされています。これは善悪を判断することもなく致し方ない、やむをえないことだ、という意味でのことでしょう。

     

    将棋というものは挨拶に始まり挨拶に終わります。対局が始まるときには「お願いします」と挨拶をしますし、対局が終わるときには投了する者が「負けました」と敗北の意思を示します。このように将棋を対局するにあたって挨拶をすることは将棋の基本的なマナーであり、作法であるわけです。

     

    将棋は礼儀正しく指すことが重要であるとされ、敗者が投了の意思を示す「負けました」は将棋の礼儀作法として事あるごとに推奨されます。すなわち、この「負けました」は投了における美学でもあり、投了の際にはきちんとこの「負けました」を言えることが立派な将棋指しであることの証左なのです。将棋においては自分の敗北を認め、自分でそのことを発することが立派な精神性であると考えられているのだということが分かります。

     

    ところで、このことについて少し考えてみますと何故に敗北の際に自分で敗北したことを認める必要があるのでしょうか。確かに負けたときは悔しいものですから「負けました」などとは言いたくはないという人もいるのでしょう。投了の美学として、この「負けました」を言うことが強要されていることに疑問を持つこともありえるでしょう。はたして「負けました」が言えることが本当に立派なことなのでしょうか。

     

    例えば、スポーツの世界を見てみるとしましょう。サッカーや野球、バスケにテニス等々どのスポーツにおいてもプレーヤー自身が「負けました」と敗北を認めることでゲームが終わることはまずありません。プレイヤーが何を思おうが、何を言おうが、得点と既定の時間等々により無慈悲に勝負が決まります。スポーツの世界においては投了の美学は存在しません。将棋とスポーツはその構造も違いますが、何故に将棋においては自ら「負けました」と敗北を認めねばならないのでしょうか。

     

    このことを外部性、もっと分かりやすく言えばゲームを取り巻く環境から考えてみると、スポーツの場合は審判が居て審判が規定に基づき勝敗をジャッジします。将棋の場合は立会人がつくことはありますが、対局者の意思において勝敗が委ねられています。つまり将棋というゲームはセルフジャッジのゲームなのです。このセルフジャッジという外部要素が将棋における投了の美学たる「負けました」を言うことを生み出した一つの要因と言えるのではないでしょうか。

     

    さて、このようなセルフジャッジの必要性から投了の合図が必要だとして、投了する際に「負けました」といちいち発する必要はあるのでしょうか。それでは逆にセルフジャッジとして、勝ちが確定したような場合に、片方が「勝ちました」と言い、相手もそれを同意することで勝負が決まるとしてはどうでしょうか。ここでまず問題になるのは、判断が不透明であることです。いくら片方が「勝ちました」をと勝利宣言を連発しても相手が延々と認めなければ勝負は終わりません。すなわち、どちらかがもうこれで終わりだと諦めることで勝負が終わるとしたほうが明快なのです。ゆえに投了の際には「負けました」で終わることが必要になるのでしょう。また、勝者が勝ちを誇ることは美徳であるのかという問題もあります。勝った者は謙虚であるべきだという考えも根強いでしょう。

     

    そうは言っても何故に敗北の際にわざわざ「負けました」を発するのかはまだ見えてきません。「負けました」と自信の敗北を認めることは礼儀だとか美徳であるとか何か価値があると考えらるのでしょうか。潔く負けを認めることは確かに見てるものからすれば心地は良いですしその精神性は何か立派なことであるかのような気もします。しかし冷静に考えてみると敗者が敗戦の弁をそのまま直接吐露することは屈辱に他なりません。状況的に負けであることは明らかであるとか、もう自身に指し続ける気力が出ない局面だとして「負けました」を強要することが美であるのでしょうか。明らかに非勢であるのに敗北を頑なに認めない根性的な精神性は美しいとは言えませんが、一方では「負けました」の強要は敗者に鞭を打つ非道な行為へと陥っているとも考えられます。

     

    少し見方を変えてみると、日本古来の武士の世界には切腹、腹切りというものがあります。これは不始末の責任を自身で判断して自身で処置を示すことでその社会的体裁を保つという意味合いの習俗です。この切腹というものは形式的行為です。自らの責任をその行為に変えて示すもので敗戦の弁を述べる類のものではありません。ここに見られる潔さ、その潔さがある種の美徳にまで思えるのは一切の言い訳もせず何も語らずに自分の不始末を処置することにあります。なお、腹切りをした者はそれでは死にきれないので第三者の介錯が必要になります。このことはより一層それが形式的なものであることを示唆しているでしょう。

     

    こうした武士の精神から考えてみると、一見すると潔く自身で不始末を処置したかのような「負けました」の精神は、日本人特有の美徳であるかのようにも見えます。しかし自ら敗北を吐露する「負けました」の精神は、実はそうした潔さとは異なる直接的な言い訳であるかのようにも思えます。それは自らの心情を吐露することで赦しを請うかような自己都合の精神性であり、ただ単に敗者として全てを放棄するような精神性でもあります。そこに敗者としての美学などは存在しません。いくら心情を吐露したからと言ってそれが尊ばれることはないのです。敗者は何も語るべきではないし沈黙こそが敗者のあるべき姿に見えます。敗北においては沈黙を守り、その意思を示す形式的な行為の存在と、第三者的な判断こそが、敗北における、投了における美学だとは考えられないでしょうか。状況的にみても形式的な敗北のサインを決めて、暗黙の了解により勝敗が決まるとしたほうが美しいですしそれで礼節を欠くこともありません。将棋では駒台に手を触れることで投了の意思とすることがありますが、このように「負けました」を言わずに勝負を終わらせる方法もあるのです。

     

    ここまで「負けました」を発する意味について考えてみましたが、必ずしも「負けました」と愚直になることが美しいことではないことが分かりました。引き分けは指し直すとすれば、将棋を指せば必ず勝つか負けるかしかありえません。つまり負けるということは殆ど不可避であるのです。

     

    ここで冒頭の発言に戻るとそのことはまさしく「是非もなし」なのではないでしょうか。

    将棋コラム 将棋を指していて快感を覚える瞬間は?

    2016.09.12 Monday

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      人間という生き物は快楽の虜です。人間の歴史をみればそれは快楽の追求の歴史であると言っても過言ではないでしょう。生存の欲求を十分に満たした人間は次第に快楽へと溺れます。要するに快楽こそが人間を成長させ快楽こそが人間を堕落させてきたわけです。現代に目を向けてみると世の中は娯楽で溢れかえっていますが、娯楽というのは殆ど快楽性の為に存在しているのではないでしょうか。つまるところ娯楽こそが人間の生きる道だと言えるわけです。

       

      さて、将棋もそんな娯楽の一つですが将棋を指していて気持ちいいと感じる瞬間、つまり快感を覚える瞬間はどのようなものでしょうか?

      ここではランキング形式にして少し考えてみたいと思います。

       

      それでは第5位の発表です。

       

      「駒の両取りが決まったとき」(東京都・28歳男性・教師他多数)

       

      ふんどしの桂馬や割り打ちの銀、香車の田楽刺しなど駒の両取りが決まった瞬間は気分が良いものです。どちらか必ず一方は駒が取れることになりますから非常に得した気分になります。王手飛車取りがかかろうものなら気分は温泉気分で勝利は目前か。

       

      続いて第4位です。

       

      「駒を得したとき」(愛知県・19歳女性・会社員他多数)

       

      やはり駒得は裏切りません。駒を得すればするほど戦力差が拡大し優位に局面を進められます。しかし将棋の終盤は駒得よりも速度が重要です。駒得ばかりに目がくらんで王様を取られてしまうと元も子もありません。

       

      それでは第3位です。

       

      「駒を成ったとき」(茨城県・45歳男性・農家他多数)

       

      相手の陣地に踏み込んで駒を成ったときの達成感は格別です。歩がなれば金と同じ価値になる。まさしく成金ストーリーの成り上がりです。初心者同士の対局ですと飛車が成って龍を作れただけで将棋を指した甲斐があるというものです。

       

      さて第2位はどうでしょうか。

       

      「詰みを発見したとき」(秋田県・32歳男性・団体職員他多数)

       

      将棋の醍醐味は何といっても最終盤の華麗な収束にあります。相手玉の詰みを発見し読み切った瞬間は気分も最高潮に達するでしょう。駒が一つも余らない完璧な詰みを発見したときなどは感動も格別です。詰みを見つける瞬間の為に将棋を指している人も多いでしょう。

       

      さあそれではついに第1位の発表です。

       

      「勝ったとき」(広島県・12歳男性・小学生他多数)

       

      やはり何と言っても将棋を指していて一番気持ちが良いのは勝った瞬間でしょう。勝てば嬉しいですし負ければ悔しいそれが自然のありさまです。しかし相手があることなどで過度にはしゃいだりはせずに静かに勝利の余韻に浸りましょう。

       

      さて、これまで見てきたように将棋を指すことは気持ちが良いものです。将棋にはさまざまな快楽の瞬間があります。今回紹介した他にももっと奥深い将棋の楽しさはたくさんあるでしょう。それを探究してみるのも一つの生きる道かもしれません。

       

      ※文中の登場人物は実在の人物・団体とは関係がありません。

      将棋コラム 将棋を上品で高級なイメージにするにはどうしたら良いか?

      2016.09.11 Sunday

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        前回の記事では将棋に庶民的なイメージが定着した背景を簡単に考えてみました。少し振り返りますとそれは将棋のゲーム性として、ゲームの目的が視覚的に明快であることで初心者でも遊びやすいこと、逆転が発生しやすく最後まで勝負が分からない熱狂性があること、が多くの庶民に親しまれ将棋に庶民的なイメージが定着したその要因の一つだと考えられると分かりました。

         

        さて、今回はこのように庶民的なイメージが定着してしまっている将棋をいかにして上品で高級なイメージにするかについて考えてみたいと思います。

         

        将棋を上品で高級なイメージするにはどうしたら良いか?身も蓋の無い回答をしますと、「上品で高級な多くの人たちが将棋を指せば良い」ということになるでしょう。確かに上品で高級な多くの人たちが将棋を指せばそれで話は終わりです。それなら将棋を指すには1回1万円かかることにするとか、公に将棋を指すには年収や職業での資格制にするとか、将棋を指す高額所得者は税金を控除するとかそういう話にすれば良いのでしょうか。しかしそれでは将棋そのもののイメージが向上しているとはとても言えません。

         

        そこで、将棋そのものが上品で高級なイメージを持たれるようにするにはどうするべきか、外的な方策と内的な方策の二つに分けて考えてみたいと思います。

         

        外的な方策としては、将棋を指す時の作法や将棋を指す場合の環境、舞台を豪華で上品で高級なものに設定することが考えられます。将棋は盤と駒があれば、あるいは脳内であっても符号だけで遊べるゲームですが、将棋を指すにあたっての正式な作法、格式を確立するのです。このことは将棋の伝統文化性を強調することでもあります。将棋を指すときには上品で高級な文化としての正式な作法、格式があるということをもっと宣伝していく必要があるでしょう。具体的な将棋の作法、格式についてはいずれ考察することとして此処では割愛します。

         

        内的な方策としては、将棋が上達する為には正規の指導、訓練が必要であることを広めることです。将棋は前回の記事でも話したように誰にでも目的が視覚的に分かりやすい性質があるので初心者でも何となくそれなりに遊べます。ですから習い事としての将棋はあまり世の中に広まっていないように思います。一見すると簡単に見えるようなゲームですが実は奥が深くてきちんとした指導が必要であることを広めることでより知的な教養としての将棋のイメージが見えてくるようになると考えます。教養として将棋の正当な指し方を学んでもらうことで将棋の知的なイメージを高めるのです。

         

        ここまで見てきたことを簡単にまとめると、将棋を上品で高級なイメージにするには、外的には将棋を指す場合の作法や環境の格式を整備すること、内的には教養としてきちんと将棋の指し方を学ぶ必要があることを広めることが必要になるでしょう。主にこの2つの視点が将棋のイメージ向上を図るうえで重要となると言えるのではないでしょうか。また、一方では庶民に長らく親しまれるゲームとしての将棋も大事にしていく必要はあるのでしょう。

        将棋コラム なぜ将棋は庶民的なイメージなのか?

        2016.09.10 Saturday

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          とある休日、道端を歩いていると何やら駒の音が聞こえてきます。ふと目を向けてみると、みんなでわいわい集まって楽しそうに将棋を指しています。このような光景はかつては至る所で見られたそうです。縁日には大道詰将棋などもよく目にしたのでしょうか?現代においてはこうした光景は殆ど見かけなくなりましたがそれでも一般の人々に将棋は楽しまれています。

           

          さて、将棋は一般的に庶民的なイメージがありますがそれは何故なのでしょうか?その答えとなる鍵は将棋というゲームの性質にあるのではないか?そのような考えから将棋に庶民的なイメージが定着した背景を探りたいと思います。

           

          将棋の性質を少し考えてみると、まずゲームの目的がはっきりとしていることが分かります。どういうことかと言えば、将棋とは要は相手の王様を取れば良いわけです。駒の動かし方は複雑ではありませんから簡単なルールさえ覚えれば誰でもそれなりに将棋が楽しめます。ここで他の主なゲームと比較してみましょう。例えば囲碁は相手より陣地が多い場合に勝ちになりますが、序盤中盤などは勝ちへの目的が視覚的に分かりにくい面があります。特に初心者の方ですとどう指したら目的に近づいているのか分かりくいこともあるのではないでしょうか。その点、将棋ですと攻めと守りの区別が分かりやすく王様をどう捕まえるのかという目的が常に明確です。こうした視覚的にゲームの目的が分かりやすいことが将棋の一つの性質だと言えるでしょう。次に将棋は最後まで逆転が発生しやすいということがあります。どんなに優勢な局面であっても最後の最後で王様をとられてしまえば負けになるわけです。つまりたった一手のミスで全てが駄目になります。陣地の多さを争う囲碁などのゲームでは大差になれば多少のミスをしても逆転は殆ど発生しません。最後まで勝負の行方から目が離せないことも将棋特有のゲーム性であると言えるでしょう。

           

          こうした将棋のゲーム性を考えてみると、ゲームの目的が分かりやすいことで初心者でも誰でも参加しやすいことが分かります。また、逆転が発生しやすい、最後までスリリングな展開であることは将棋を指す者だけでなく見る者をも熱狂させます。将棋が広く庶民に遊ばれ庶民的なイメージを持たれているのは、このような将棋の目的の明快さが多くの庶民を惹きつけ、さらにその熱狂性が庶民に快感と興奮を与え、他のゲームよりも好まれたということが一つの要因だと言えるのではないでしょうか。

           

          今まで述べてきたように庶民的なイメージを持たれている将棋ですが、次回はどのように庶民的イメージを克服してイメージを変えていけば良いのかについて考えてみたいと思います。

          将棋コラム 将棋を指すと頭が良くなるのか?

          2016.09.09 Friday

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          将棋を指すと頭が良くなりそうな気はしませんか?答えはイエスかノーか…。

          ところで、将棋界にはこんな逸話?があります。

           

          「兄たちは頭が悪いから東大へ行った。私は頭良いからプロ棋士になった」

           

          これは有名な某プロ棋士の発言だと言われています。

          確かに将棋のプロになるのは東大へ入るより難しいのかもしれません。

           

          本題に戻って、ここでは将棋の思考プロセスを簡単に明らかにすることで、

          将棋の上達が人間の能力にどのように影響を与えているのかについての仮説を少し考えてみたいと思います。

           

          「錯覚いけない、よく見るよろし」

           

          これも冒頭の発言とは別の有名なプロ棋士の発言です。

          この発言からも分かるように将棋とはまずもって認識のゲームなのです。

           

          まずは何よりも局面を正確に認識すること、局面の流れを正確に把握すること、

          そのことが将棋をプレイするうえで最も単純でありながら最も基本的な思考のプロセスになります。

           

          また、このような将棋の格言もあります。

           

          「四隅の香車を見よ」

           

          香車は盤面の隅にそれぞれ4つ配置されています。この格言は盤面全体を広く認識することの重要性を説いたものでありますが、このことだけで立派な将棋に対する思考のアプローチになるのです。将棋とはまず認識のゲームですから複雑な構造性を持つ事象に対する認知機能の向上が一つには将棋の効果として挙げられます。

           

          繰り返しですが、局面を正確に認識することが将棋の最初の基本的な思考プロセスになるわけです。

           

          それでは次にプレーヤーが考えることはなんでしょうか。将棋は先読みのゲームですから自分がこの駒を動かしたら相手はこの駒を動かしてそしたら自分はこの駒を動かして…ということをひたすら考えます。強い人になると10手どころか100手先でも延々と先を読むことができます。実際に盤上の駒は動かせませんからすべて脳内で駒を動かすことになります。プロ棋士になると脳内に将棋の盤があるとも言われ、目隠しをしても正確に将棋を指すことができます。将棋を指すうえでは脳内で正確に将棋の指し手をイメージできるかがポイントになるのです。熟練者であればあるほどこの読みのプロセスが正確で複雑になるので将棋を指すことでイメージ力が強化されると言えるでしょう。

           

          さて、盤面を正確に把握し、先読みをして局面を進めていくとようやく終わりが見えてきます。そうです、いわゆる詰む奴まざるやなどとも言われる王様を取るか取られるかの緊迫した局面になります。将棋の最も基本的な勝ちパターンは、1手でも早く相手の王様を詰ませる、王様を取ることです。

           

          そこで必要な思考プロセスは何でしょうか。

           

          それは簡単に言えば論理的思考による速度計算です。攻めの手を指したり受けの手を指したりして速度、つまり王様が詰むかどうかを調節します。このプロセスは非常に論理的に解が導けます。例えば、自分の王様があと2手何か手を指されたら詰んでしまうような局面だとすると、そこで相手の王様があと1手で詰む手(専門用語で詰めろ)を指せば勝ちに近づきます。逆に自分の王様があと1手で詰んでしまうような局面だとすると詰みを遅らせるような手をさす必要があります。その手がさらに相手に迫るような攻防の手だと速度は逆転するわけです。こうした論理的な思考を先読みと合わせて続けていくと最後は解が見えてくるはずです。将棋で最も重要だとされる終盤の局面を考えることは論理的思考を強化することに繋がるでしょう。

           

          いままで見てきたことを簡単にまとめると将棋を指すことによって認知機能が向上し、イメージ力が強化され、論理的思考力が鍛えられると考えられることが分かりました。今回のテーマである将棋を指すと頭が良くなるのか?このことに対する答えは自ずと導けるのかもしれません…。

           

          文責 会長代理 佐藤

          将棋コラム 将棋を広める3つの戦略とは?

          2016.09.09 Friday

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            さて。今回は将棋を広めていくうえでどのような戦略が必要となるかについて少し考えてみたいと思います。将棋を闇雲に広めても効果が最大になるとは限りません。そこで3つのキーとなる視点から将棋を広めていくことを想像してみます。

             

            一つには将棋の最大のポイントであるゲーム性に着目したものです。将棋は頭脳ゲームです。そのゲーム性から将棋は構造的な階層を持ち、論理的な読みの力が重要となります。そこで脳力活性化のツールとして将棋に注目します。この視点においては知育、脳トレーニングなど思考能力の向上が将棋を指すことの目的となるでしょう。

            西洋ではチェスは知性の象徴とされ、チェスを指すことは上流階層の嗜みでもあります。将棋を指すことが知的な活動として評価され知的な嗜みであると世間に認知されるような視点を持つことが一つめの戦略になります。

             

            二つには将棋をどの層に重点的に広めていくかということです。現状だと将棋を指すのは子供か、おじさん世代というイメージが定着しているのではないでしょうか。そこからさらに視野を広げていき若い女性に向けて将棋をアピールすることを考えます。若い女性が集まるような華やかな場には老若男女問わず人が集まるでしょう。つまり若い女性向けに将棋を発信していくことが将棋を世間に広める二つめの戦略になるのです。

             

            三つには将棋の格式を確立することです。将棋は普通のゲームと違って文化性を有することは前回の記事、将棋の文化性とは?で話しましたね。将棋を指すことは伝統文化を体験することであると意識していきたいです。そのことで礼節や将棋の文化としての形式を知ることができます。単なるゲームを超えた日本の伝統文化として将棋を広めていくことが3つめの戦略になります。

             

            これまで見てきたように将棋を広めていく為には、1.知性、2.対女性、3.文化として強調された将棋のあり様を掘り下げていくことが肝要です。そのことがまさに核となる3つの戦略になるでしょう。